最後のひと工夫で旨い酒を呑んでもらう
《手を抜いた仕事はするな、味覚は発達している》
企業整備によって昭和18年廃業、そして6年後の23年に復活。
酒米の五百万石はこの地域の農協が最初に取り組んだ。→下田農協
三増酒(アルコールや糖類をいれて量を増やす酒で儲かる酒でもあった)が盛んに造られていた時代に、儲からない純米酒の製造に打ち込んだ。やっぱり美味い酒を造りたかった。
蔵の特徴は新潟きっての超軟水、酒が発酵しないのではと言われるほど。自分の山から横に水を運ぶことで空気に触れながら酸素を含んで流れてくるこれがいい仕込み水になる。日本酒度の割にはベロ感、舌触りを柔らかくしてくれる。
品質を守るために最後にひと手間加える。栓をする直前に瓶の中に窒素ガスを注入し空気を排除し酒の旨味と鮮度を守る。→質を上げる為に利益よりも手間を優先したことになります。
幼いころ企業整備で蔵が取り壊され釜も没収される様を目の当たりにし、その時の切なさを話してくれました。国民学校6年生の夏に敗戦、日本人の教育も価値観も変わった。陸上で大学行くつもりだったがそれもかなわなかったと…。戦争は酒蔵の在り方を大きく変えたと言います。それ誰ではないと思います。人それぞれの在り方も変えたのだと思うわけです。
※企業整備…太平洋戦争統制化による清酒の製造規制で多くの蔵が閉鎖に追いやられた。中には建物、釜なども没収された蔵もあった。その後、単独で、または合併して復活していった。